日々の山道

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朝日が差してきた。
空気が金色に染まってきた。

お気に入りの音楽をかけよう。
窓を開けよう。
さあ、今日もぶっ飛ばして行こう。


今は何も、怖いことはない。

(画像は全て、クリックで拡大します)

そこは県道18号

かつてわたしは毎朝毎晩、山の中のジェットコースターのような道を通って、仕事へ出かけていました。
隣接する山形市の職場まで、通勤をしていた頃の話です(詳しくはこちら)。


県道18号という道路があります。
朝日町の東側を通り、山中を抜けて市街地に出られる道です。
我が家から目的地まで、この道+αを通って職場まで大体、片道45分。




くねくね道が、上がったり下がったり。
続く急カーブ。急こう配。
上り坂ではスピードが上がらず、下り坂ではスピードが落ちず。
しっかりした道路ですが、すぐ脇を通る谷の深さを思うと、ぞっとします。

そこを猛烈な勢いで追い上げてくる、やばい速さのスポーツカーたち。
逆にどうしてここでそのスピードなの…と思う、超低速の軽トラック。
見通しが効かず、追い越しが無理な区間も多い。
イライラ、やきもきしたりすることもあります。

この道を、当時は一分一秒を争う気持ちで、毎日走り抜けていました。
朝は7時半よりちょっと前に家を出て、できるだけ信号の少ない道を選んで、工事があったらその道は避けて。
夕方は17時前に、混み合い始める街中を抜けて。
山道に入ったらさあ、後はひたすら走るだけ。
うねうね、うねうね…。
くたびれるのは単純に距離が長いせいだと思っていたけれど、道の変化の多さも地味に効いていたのかもしれない。
今となっては、そんな風に感じもします。

ちなみに冬場はスリップが怖いので、わたしは山麓の迂回路を通っていました。
最近聞くところによると、多少のスリップを厭わない猛者たちは、積雪時も「混み合わなくて、早く着くから」とこの道を利用しているようです。
わたしには、まだできない。
いや、ずっとできないかな…それでいいです。

わたしのご褒美

でも、実は。
実のところ、わたしはこの道がそんなに嫌いではありませんでした。

毎日毎日山の中を走り抜けていくと、よく分かる。
日毎の細かな変化。

谷間の葉っぱの色付きや、棚田の稲穂を見て、
あ、秋が来てる。だとか。
初夏の午後五時、眩しい空に向かって走りながら、
日が長くなってきたな。もう夏だな。
だとか。

昨日はなかったもの、今日はじめて感じるもの。

たくさんの美しいものを見たな。
この道で。







街の上、ついたてのように重なる連山の色。






底の見えない、夜の山道。



雪野原の、凪いだ景色。





凍てつく朝の、燃える朝焼け。





他にも、印象に残っている景色が、いくつもあります。
山が、季節が、きれいで、珍しくて。
そして同じ場所でも季節が違えば、天気が違えば、全然別の顔が見える。
同じ物事に向き合ってるつもりでも、一刻一秒違えばこんなに違うものが見えるのか。
そんなことを自然と感じもしました。

振り返ってみればあれは、「ご褒美」だったな。
あの時間、あの道を通ることでしか得られない、景色。感覚。
自分にとっては確かに、とても大きな「ご褒美」だった。

毎日毎晩、ハードワークの後に続く、長い長いうねうね道。
物理的にはきついこともありましたが、この道だったから行き来してこられたのだろうな。
と、今では思います。

Journey to work

そんなわけで、今だから言えることですが、この道のりは決して悪くはなかった。

まだまだ四六時中手の必要な乳幼児の子育てと重なると、かなりハードでしたが(ハードさについては、こちらを参照ください)。
これはどれだけご褒美があろうと、もう繰り返したくはないな…苦笑。
でもそれが無かったら、それはそれでありだったのかもしれない。
遠い分、時間がかかる分、良いものもたくさんもらっていた通い路だったと思います。
(ただし、当然ながらガソリン代は高くつきます)


そしてもう一つ、今この道のりについて思うことは、時間の感覚もこの道のり仕様になっていたのだなということです。
今自宅で仕事をしていて感じるのは、生活の中での時間感覚がとても短くなったし、どうしてもせかせかするようになったなということ。
当時は、どうだったか。
職場まで1時間、帰ってきて2時間…と大きな単位で物事を測っていたので、何となくおおらかにどーんと構えていられた。
10分早くなろうが遅くなろうが、あまり大差は無かったものな。

そしてそんな風な心持ちでいる運転時間は、ただただぼんやりと、無心になることができました。
仕事の振り返り、子どものこと、これからのこと、色々なことに自由に思いを巡らせられた。
気づきがあったり、アイディアもわいた。

1時間単位の帰り道が、濃密な毎日のガス抜き役を、うまい具合に果たしてくれていた気がします。

町の中だけ見ると、人口に対して雇用が少ない。
だから町の外に通勤することは、ほぼ避けられない。
当時の働き方を紹介した「仕事と生活の仕方・1」ではそんな風に書きましたが、長距離の通勤だって、悪いことばかりというわけではない。
そして当然ながら、全ての人が面倒くさかったりつらかったり感じるわけでもないのだろう。
今、久々にこの道のりを通ってみて、そんなことを感じます。

(もちろん、町内での働き方について選択肢が少ないということとは、また別の話として)

町から別の遠い場所に通って、働く。仕事をする。生計を立てる。
そんなやり方も、その人がありなら十分ありなんだと思います。
あの頃は、なんでこんなに遠いんだろう、なんでこんなにきついんだろう。と思いつつ、とにかく無我夢中にやっていましたが。
当時はほとんどマイナス面だけを捉えていた、「長距離の通勤」という働き方。
改めて、考え直させてくれた道行きでした。


山の中で一定区間電波が入らないとか、冬はスリップが恐ろしいとか。
仕事に向かう時の気持ちや、終わった後の気持ちだとか。

きっとあの道には、行き来する人の数だけ、思い入れも思い出も、いいも悪いも、詰まっているのだろうなと思います。

あの山道へ、そして同じような「とかいところ」に住む元・現・未来の通勤スタイルの方々へ、ひっそりと本記事を捧げます。



(私信。
勤務時間を短縮した上で、それでも遅刻や欠勤の多かったわたしをいつも暖かく受け止めて対応してくださっていた前職場には、心から感謝しています。本当に本当に、お世話になりました。
そしてあの日々を支えてくれた家族たちに、改めて感謝です)

(2021年11月)


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