とかいところの自然災害・後編

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前回からの続きです。
上の画像は、隣接する大江町で起きた最上川氾濫の様子。
ニュース映像の記憶を頼りに、描き起こしたものです(なので実際とは異なる部分もあるかもしれません。ご了承ください)。

(画像は全て、クリックで拡大します)

「避難」の二文字が表すもの

さて今回、「緊急時なんだから当然のこと!」と言って心温かく避難を受け入れてくれたのは、A夫妻です。
ご夫婦ともに、以前から親交があるお二人。
自分たちのスペースを割いて、時間も割いて、心づくしのもてなしをして…
お二人にはまる二日にわたって、数えきれないほどお世話になりました。

…いや本当に、緊急時とは言え「大人二人+3歳児一人+赤ん坊一人を自宅に受け入れてほしい」…という急なお願い。
自分がもし同じ立場だったら、どうだろうか…。
家の掃除。散らかりまくった物の、整理整頓。
ふかふかのお布団。タオル。着替え。
大量の食事の用意(しかもいちひめリクエストに応えて、彼女の好きなものを用意してくれるという心づかい)

…。

できない!!!
とてもじゃないけど、無理!

嫌な顔一つせず、たくさんのご厄介を引き受けて下さったお二人には、本当に本当―――に、救われました。
改めて、感謝の意を申し上げます。

今回の避難でとてもありがたかった、本当にありがたかったのが、この「夫妻が自宅に受け入れて下さったこと」です。
というのも実は、前年度10月にも大雨で避難をしたことがありました。
この時は公民館で一夜を過ごしたのですが、それと比べて思ったのは、やっぱり一番に「個室(自分たちだけの空間)」があることの大きさ、ありがたさでした。

隣に人の目を感じることなく、自分たちだけで自由に過ごすことができる。
身体の力を心底抜いて、他の人への迷惑などを考えることもなく、物音を立てたり、身動きをとることができる。
それがどれだけ、人にとって大きいことか…。


振り返ってみると、前回は妊娠7ヶ月だったわたし。
しかも間の悪いことに、その日だんなさんは遠方に出張中、その日の夜に帰ってくる予定でした。
夕方に発令された町の情報では、「警戒レベルは3。避難に時間のかかる方は避難を始めてください」とのことだったので、どうしても家から動かなければいけなかった訳ではなかった。
でも既に17時近く、これから夜がやってきます。何がどうなるかは、誰にもわかりません。
万が一ここに居られなくなった時、暗闇と豪雨の中、いちひめと赤ちゃんを抱えて一人で立ち回れるか。
…いや、したくない。

ということで、早いうちに自発的に公民館に避難しました。
地区の公民館ではなく、より規模の大きな地域の拠点となる公民館。我が家からは、車で10分くらいのところにあります。
行ってみたら自分たち以外に誰も避難者が無かったので、ちょっと気恥ずかしく拍子抜けした覚えがありますが、じきに人が集まってきました。
近所の方の顔を見て話ができたら、急にほっとしたっけな。
だんなさんも何とか朝日町まで帰り着き、夜には公民館で合流できました。

公民館で待機していた役場の方はとても優しかったし、備蓄のレトルト食品も分けてもらえた。
建物もとても広くてきれいで、使い勝手はすごく良かったです。
本当に色々な人に気を配ってもらって、良くしてもらったなあと思う。

…のだけれど、やっぱりこの時は個人的には不便もありました
印象に残っているのは、いちひめのこと。
当時3歳になったばかりの彼女、その日はなかなか落ち着けませんでした。
きれいな畳の部屋でご近所さんにも優しく声をかけてもらえるけれど、常に周りに人がいて、大きな声は出せないし、好き勝手に動けない。遊べる場所も無い。
遊び道具は持ってきてはいるけれど、場所が落ち着かなくて、あまり集中できない…。
最後は半泣きになってぐずるいちひめの姿に、役場の方が短時間、小さな空きスペースを開放して下さいました。
一緒に動画を見て何とか落ち着いたいちひめでしたが、就寝時もあまり落ち着けないようでした。


今回、避難受け入れをA夫妻にお願いしたのは、乳幼児2人を連れてこれをもう一回繰り返すのが、かなりつらかったからでした。
特に気になっていたのが、授乳のこと
だらだらとおっぱいでスキンシップをしたがる赤ちゃん、時間も回数も定まりません。
毎度胸元を隠しながら過ごすのは、母子ともに、地味にきついものです…。

でも結局、「プライベートゾーンが無い」というのはそういうことなんだろうな、と思います。
コロナ禍を経た現在は、避難施設でも個々のスペースは広く準備されるようになっているのでしょうし、自分の経験したことはごく短時間の避難なので、分かっていないことも多いと思います。
でも「避難」という行動の中に、否応ない不便さ、不自由さが含まれるのだということは、良くわかった。
自分の「家」から離れて、必要最低限のものだけで、家族を守りながら時間を過ごす。それに、どれだけ不便がつきまとうかということ。
それから本当に、「我が家が一番」なんだな、ということ。
これらが心から、身にしみる体験でした。


反省点こもごも

正直なところ、今回の自分の動向を思い返すと、色々な人たちに向けて、今でもとてもしのびない気持ちになる。
そんな風に、反省しないといけない点がたくさんあった出来事だったなと思います。
今回、我が身を振り返って反省するのは、以下の二つです。

避難するなら、もう少し早めに動くべきだった

実は現実には、避難しなかった方々もおられました。
我々の住んでいる地区でも、避難をしなかったご家庭もあるようです。
現状を見て、自分の家はまだ大丈夫だという判断をされたのかもしれないし、自分の状況では、公民館では非常に不便があるという考えかもしれません。
それぞれの内情は分かりませんが、選択肢として「避難しない」ことがあるのは、上述の自分の体験からも理解できます。

(感染症対策があってのことですが)町の方針としても現在は、
「自宅での安全確保が可能な人は、感染リスクを負ってまで避難所に行く必要はないと考えます。
町が指定した避難所への避難だけでなく、可能な場合は災害危険の無い親戚や友人・知人宅への避難も検討してください」
という旨が公表されています。
自分の家や周囲の環境で安全が確保できるなら、無理に避難することはない。
それでは、その安全性をどのように判断すれば良いか、ということが課題になってきそうです。

白状しますが、今年度の大雨で避難勧告が出た時、「この家に被害が及ぶことはなさそうだ」という感覚を、自分は持っていました。
実際、全てが過ぎ去った後で見てみれば、特に被害を受けることはなかったので、この予想は当たってはいたのですが…。
ただ今回のことで思ったのは、自分は危険が近づいてきているサインを察知できるほど、この場所への経験も知識も全く足りていないということです。
ここでちょっとご紹介したいのが、ある地区の区長さんのコメントです(町報の特集記事に掲載されていました)。
以下、一部抜粋。

「60年以上住んでいますがここまでの雨は初めてで、みるみるうちに川の水位が上昇しました。これはダメだと思い、まだ水位が低い11時頃から各家へ避難を呼びかけ、幸いにも水位が上がる頃には公民館に避難することができました」

(同上『広報あさひまち』第765号より)

…なるほど、増水の速さで危険性を推し測られたのだな。
と思うと同時に、目に見える被害が出てからでは遅いんだと、改めて教えられる内容です。

河川の水量が増えて、氾濫してからでは遅い。
土砂崩れが起きてからでは、道路が崩落してからでは遅い…。
わたしは、どうか。
水量が増す速さを見て、周囲の山の様子を見て、今どれくらい自分に危機が迫っているのか全く分からない。
今の状態の先にあるのが「命に別状がない」状況かどうか、全然予測できない。

だったら、やっぱり避難はすべきだと痛感しました。
成人していない子ども達の命を託されている以上は、なおのこと。
そして避難をするのであれば、荷物の準備はもちろん、諸連絡も含め、もっと早めに動くべきだったと思います。

今回のことでは、消防団に迎えに来てもらい、Aご夫妻に急きょ避難受け入れをお願いすることになり、本当にたくさんの人にお世話をかけたなと思います。
また同じような自然災害が今後も起こりうるのだとすれば、自分なりに「どこでどんな判断をして、どう動くか」を考えていかないとな、と思いました。

もっとしっかり防災準備をしておかないといけなかった

今回、A夫妻のお宅にお邪魔して、足りないものがいくつもありました。後から思う、「あれを持ってきたら良かった」と思うもの。

例えば。
暇を持て余した子どもの遊び道具。おやつ。
個人的には、家事までご厄介になるのだから、食材(野菜類)を持ってこられたら良かった!という気持ちもあったっけ。

そしてかけてしまったご厄介の最たるものが、これです。
だんなさんのパンツ
28日当日、夕方に消防から帰ってきただんなさん。ひたすら見回りと土嚢積みをしていたとのことで、服は全身びしょ濡れでした。
A夫妻に気をつかってもらい、先にシャワーを頂くことに…と、そこに響くだんなさんの声。

だ「あれ、自分の着替え(※下着含む)は?」
…あっ。

(だんなさんからは消防に出ていく前、「自分の着替えもお願い!」と声をかけられていたそうなのですが、うっかり聞き逃していました)
他にも、歯ブラシのような日用品の類をごっそり忘れていたり。
自分の家庭のものでさえ、ちゃんと把握していないし、用意できていなかったわたし…。
猛省です。

そしてもう一点、思い知ったこと。
避難する場所によっても、必要なものは違う
例えば暇つぶしの絵本、おもちゃ類については、公民館避難ではプライベートスペースが無く、あまり本領発揮することがなかったのですが、逆に今回は我が家用に個室を開けて頂いたので、今回こそそういうものが必要だった!と思います。

今から自分達はどこに、誰と避難するのか。
その場合は、どんなものを持っていくのか。
家全体でもう少し色々なことを共有した上で、必要な物をリストアップし、まとめておくことの重要性を感じました。

…ちなみに着替えはAご夫妻のだんなさんが貸して下さり、下着はコンビニに行って調達してきて下さいました。
要らぬ面倒をかけてしまったご夫妻に、改めて感謝です。
もう、足むけて寝れない…。


今回、この記事をまとめるにあたって市販の防災グッズなども見ていたのですが、今後この場所で付き合っていくだろう自然災害は、もう少し違う備えがいるのかな、と感じました。
一日だけ、家を離れないといけないような事態。
ちょっとだけ、公民館にお世話にならないといけないような事態。
そんな時には、電気やトイレといった基本的なライフラインは確保されていて、携帯トイレやナイフ、ラジオ…といった本格的サバイバルグッズにお世話になるようなことは少なそうです。
実際、後日ご近所さんと話していても、「皆この手のことには、慣れっこなんだな」と思わされる雰囲気もありました。
日常の延長線に存在する、非常事態というか。

…ということで、大規模かつ緊急を要する災害に備えておくことはもちろん必要ですが、毎シーズンやってくる台風や大雨といった自然との付き合い方としては、もう少し日常的なものたちの必要性を考えていくことも大事そうです。
これに関しては、今後実践も交えつつ、また機会を得てまとめていきたいなと思います。

ここまで振り返って来て思うのは、本当に、たくさんの人にお世話になったこと。
Aさんの他にも、安否を気にしてメッセージを下さったご近所さんが、何人もいてくれました。
次があるなら、同じことを繰り返して、同じ失敗を繰り返さないようにしよう。同じ厄介を、かけないようにしたい。
そしてその為には、勉強が必要だな、と思いました。
山のこと、自然災害そのもののこともですが、同じ地区でも、周りのご家庭がどんな風に対応してきたのか。そんなところも機会を得て聞いてみたいな…。

改めて反省すると同時に、支えてくれた人たちに深く深く、感謝します。
このこと、忘れないようにしよう。

(2020年12月)

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