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(動物の足跡3種、詳細は本文中にて記載)
とかいところは、山形県朝日町。
豪雪地帯としても知られる町の、更に山深いところに住んでいます。
以前雪国の山間部における「生活編」についてまとめましたが、今回は「楽しむ編」をお送りしたいと思います。
ぶっちゃけ楽しみ方なんて十人十色だとは思うのですが、我が家ではこんな風に遊んでいますよ!と、見つけた楽しみ方を一つずつ拾っていこうと思います。
自分自身がそうでしたが、雪が降らない地域の人にとっては、雪について実は知らないことも多いもの。興味をひくエピソードも、あるかもしれません。
よろしくどうぞ。

雪がふったら
犬はよろこび
庭かけまわり
猫はコタツで
丸くなる
こんな歌がありますが、大人が猫だとすると、子どもは犬だなと思います。
大人にとっては雪は「面倒なもの」。やらなければいけない作業や準備が、急に倍増する。心身ともに、疲弊する。
状況が許すのであれば、できるだけコタツで丸くなっていたい。大抵、許してはもらえないけど。
一方、子どもにとっての雪は、なんと言ってもまず第一に「楽しいもの」です。
雪遊びだよ!となると、きゃー!と大喜びで準備して玄関に向かいます。
…母は知っているぞ、君たちが直前まで、パジャマから着替えるのが嫌だのなんだのテレビが見たいのなんのと、見苦しいくらいにグズグズ言ってたこと…。
でも雪って、本当に不思議で面白い。
きらきら、眩しい。
つるつる、滑る。
がちがち、凍る。
ひやっと、冷たい。でもずっと触っているとやけどになる。
あっという間に、すぐ消える。
同じものなのに、こんなに色々な顔を持っているのか。
身近なもので他にそんなもの、あったかな?
子どもの目線を借りてみると、そんなことがよく見えて、ものを不思議だと感じる気持ちがふと蘇ってきます。
楽しみ方いろいろ
雪が降ると、我が家の周りは大きな公園のようになります。
真っ白でだだっ広く、何をしても大体怒られることはない。
車も来ない、滅多に。
遊びほーだい。
という訳で積雪量が記録的だった22年、そして24年末~25年頭の本シーズンにおける個人的な記録をもとに、何が楽しかったか・どんなことがあったか、以下に取り上げてみたいと思います。
(なお、雪嫌だなー大変だなーという件については、ひとまず生活編をご参照ください。またそのうち、除雪編~終わらない闘い~ みたいな話もまとめたいなと思います)
子どもの遊び
そり
子どもに人気のある雪遊びの代表格、それはそり(個人調べ)。
除雪機をお持ちのご家庭では、庭先に掃いた雪の山が集められ、すべり台になっていることも多いようです。
積雪具合によりますが、我が家でも除雪ついでに、だんなさんが器用にすべり台を作ってくれることがあります(なお、我が家は機械が無いので全て手作業です)。
だんなさん:頑張りました。
私:有難う!お疲れ様でした。

子どもたちはよほど楽しかった様子。
すべり台が我が家に登場した初年以来、雪が降ると「すべり台作ってー」とせがむように。雪が足りずにできない時もあるのですが、そのうち自分たちで勝手にすべり台もどきを作ったりするようにもなりました。
頼もしい。
自然のすべり台は、迫力も満点でかなり楽しい。
何なら大人も、大声を出して楽しんでいます。
散歩道

散歩しようよ、と誘っても、最近は子どももつれなくなってしまいました。
でも雪は別格の様で、外に出るだけで嬉しそうにしています。
子どもたちに見えてくる景色は、バリエーション豊か。雪の具合によっても変わります。
いつの間にかごっこになったり、追いかけっこになったり。お城のような美しく高い壁は、よほどの積雪量でなければここまでにはなりません(この絵を描いた22年は、記録的な大雪でした)。
その辺をうろうろしているだけで、彼らは楽しくなってくるようです。
そんな子どもの顔を見て、親もまた楽しかったり。
付き合わされる遊びは、でもやっぱり、けっこう面倒くさかったり(主にごっこ。特に設定が複雑だったり、母に割り当てられた配役が、過剰に多かったりするもの)。
つらら

つららの表情にもまた、面白いものがあります。
場所によってサイズも変われば、形も違う。まるで鍾乳石のように大きいものもあれば、生き物の角のような形のものもある。
思いがけない場所から突き出ているのを見ると、こんなところにできるのか、と水の流路を教えてくれもします。
氷の塊であるつららは、内側が鈍くこごって見通せず、何とも言えない不思議な存在感があります。
根元からきれいに折るのも、なかなか力加減に工夫が必要。きれいに折れたら、いいことあるかな。
掌に持つと水晶のようにまろく輝いて、なんだか気分が上がります。染み入るような冷たさが伝わっていつまでも持ってはいられないけれど、何だか特別なお宝のようです。
かまくら
雪国と言えばかまくら、かまくらと言えば雪国。
異論はあるかもしれませんが、少なくとも積雪量の多いところでなければお目にかかれない、かまくらってそんな存在です。
2024年末、我が家はついにこの未知の領域に手を出しました。
手を出した、と言うと大げさですが、非雪国出身者の私、正直以前から憧れは少なからずありました。
子どもたちも同じような気持ちをひそかに温めていたのでしょう、ある日やってみたいなーという意見が出たので、ひとまずだめもとでトライしてみました。

あー、つかれた。
出来上がったかまくらは、ちょうど子ども2人分くらいのサイズ。大人であれば1人分、寝転んで入ったら何とか収容できるくらいの空間でした。
積み上げた雪山をもっと高くできれば、より広くて入りやすいかまくらにできたんだろうな。でも子どもたちにとっては巣穴のような空間で、狭さもかえって胸躍らせる一要素だったようです。
機会が合えば、お友達も一緒に遊べたらいいね。次回以降の宿題です。
ところでこのかまくらの何がすごいかと思ったかなのですが、雪が降ったら埋まって消えるかなと思っていた雪穴、なかなか消えないんですね。
せつせつと雪が降る中、穴は静かに口を開けたまま。
逆にお日さまが照って融けていく時も、かまくらと一緒に穴も収縮しながら、最後の方まで形を残して小さくなっていきました。
さすがに縮んだ穴に入るのは危ないかと考え、子どもたちにも見るだけにしてねと申しつけましたが、きれいに形を残して縮小していくもんだなあ。
と、改めて自然の不思議を感じさせられる景色でした。
結晶の結びつき方なんかに、秘密があるのでしょうか。
知っているようで知らないこと、興味や疑問。
大人の中でも、新たにふくらみます。
私の楽しみ方
ところで私には私の、雪の楽しみ方があります。
子どもだけでない、私にとっても、雪は普段と違うことを色々教えてくれる特別なものです。
結晶

ある年のある日、裏の仕事場から家に戻る際、はらはらと雪が降り出してきました。
大した降りでもないけれど、割と身体に積もるなあ。
と、腕を見ると、あっ。
すごくきれいに結晶が見える。
黒いコートだったので、余計によく見えたのだと思います。
図鑑で見るような、きれいな形。
わたしが生まれ育った実家の方は、「雪が降る」と言ってもほんのちょっと、数ミリ積もって地面が真っ白になっていたら子どもたちが歓声を上げて喜ぶ様なわずかな積雪です。
そんなわたしにとっては、肉眼でこんなにはっきり結晶が見て取れることそのものがとても「すごい」こと、思いもよらずびっくりするようなことでした。
何度かまばたきするうち、結晶は融けて崩れて消えていってしまいましたが、そのまましばらく外でじーっと立ち尽くして身体中に落ちてくる雪の形を追っていました。
こういう小さなびっくりが何気なく潜んでいるところが、とかいとこ暮らしの醍醐味だなと改めて思います。
道造り
24年の冬シーズンはじめ、まだ雪が少し降ったなくらいの頃です。
私が日課のようにはまって行っていたのが、この道造りでした。
当初はトイレのくみとりをしてもらう為、業者さんがホースを持って通れるよう通り道の道筋をつけ、くみ取り穴を掘りだす為にせっせと雪かきをしていた私。
これが楽しくなってきた。
(今思うと、雪がほとんど無い時期だったからでしょうね。こんな悠長なことを言っていられたのは…)
足で雪を踏み固め、庭先から家の裏手までぐるっと家を囲むように道をつけ、最後は家の横を通る道路につながるようにする。
すると、なんだか秘密の通路が家の周りにできたような気になります。
最初は寒い寒いと思っていた身体も、四肢を動かして雪をかいて進んでいくと、ぽかぽかを通り越していつの間にか汗だくになります。帽子の中も、汗びっしょり。ぬぐと、外の冷気がかえって良い気持ち。
見渡せば、山と雪野原を目で独り占め。
なかなか良い気分です。
これが義務になるとなかなかにつらいのですが、これくらいのやってもやらなくてもいい程度の積雪量だと、楽しんで取り組めたのでした。

この秘密通路は家族からも好評で、子どもたちはしばらく外で鬼ごっこをすると、その道をぐるぐるぐるぐる回ってあちこちへ顔を出していました。
抜け道って、いいよね。
旦那さんからも、「こんなのが欲しかった」とおほめの言葉を頂きました。
その後しばらくして雪が本調子になると、一晩で数十センチの積雪あり、屋根からどさっと石板のような落雪もあり。とても道造りなんて追い付かない季節になってしまったので、当然ですがすっぱりやらなくなりました。
(ただでさえ玄関先や道路沿いの除雪、車の除雪など、かける手間が増えるシーズンです。余計な楽しみに割けるエネルギーも時間も、この頃にはほとんど無いのでした)
足跡追って
足跡も、雪の季節ならではの風物詩です。
普段は意識していない、でも周辺に確かに存在している生き物の息遣い、足遣いを思わせてくれます。
良く見るところではネコですが、そのほかに見かけたことがあるものでは、キツネやキジ、カモシカなど。
24年は年始からニホンザルが出没し、地区共有の問題となりましたが、彼らの足跡とフンを散歩道に見つけたこともありました。
家族全員で歩いていたのですが、見慣れない形と大きさの痕跡に、一瞬ついにクマと遭遇か、と血の気が引く我々。鉢合わせては大変と、速やかに騒がず家に戻りました。
ただ調べてみると、クマとは手の形が全く違う。その時見たものは私たち人間の手のような跡で、親指だけ他の指と離れた形についていたので、恐らくクマではないのだろうと見当がつきました。
ネットの情報ではサルが近いのかと思っていましたが、その後数回実物を目撃し、やっぱりサルだと分かりました。
リアルタイムで調べてみた時は「へえ~」と興味深く見ているのですが、実際道で行き会うと、即座にどの動物の痕跡なのかの判断はつきません。
多分それができたら、動物博士を名乗れる域だと思いますが。
*
ところでその足跡に関してつい先日、忘れられない出来事がありました。
25年1月、その日の雪は乗ってもほとんど沈み込まず、どこまでもその上を歩いて渡って行けるような状態でした。
一度晴れて融けた雪が、また気温が下がるにつれて凍って固く締まったのか。
こんな状態は滅多にありません。
大興奮で、その辺り一帯をどんどこ歩き回る私と子どもたち。
だって普段は地形が厳しく登れないような斜面が、とても登りやすくなっている。下り坂であれば、そこは何もせずとも、自然のすべり台ができている。
沈み込まない!
どこまでも行ける!
這い登れる! 滑り降りれる!
と、親子そろってテンションが上がってしまいました。
そのうちに見つけた、複数の生き物の足跡。
我々が斜面を登れるくらいの雪の固さなので、足跡もくっきり残っています。
その中に、チョキの形をした跡がありました。
この形、カモシカかも?
その数日前に山の斜面を去っていく後姿を目撃していたこともあり、思わず胸が高鳴ります。
普段はついていけないような道でも、今日の雪の状態だったら更に奥まで追っていける。
足跡の後ろをついていく私に、子どもたちも興味を示し、ぞろぞろうろうろと徘徊します。
子どもたちは、急な登り坂をロッククライミングのように登っていくのが楽しいようで、つい調子に乗った我々は山の方まで足を踏み入れていったのでした。
途中やっぱり何度か足元をすくわれながらも、やっとたどりついた斜面の上。あと一山超えると、アスファルトの敷かれた人の道に出ます。家の上を通っているおなじみの道ですが、この上に人家はない為、除雪車もここまでは来ず、冬は雪がもさもさ積もっています。
追ってきたカモシカの足跡はとある木の方へ続いていましたが、見るとそこにはカモシカのみならず、無数の足跡が縦横無尽に集まって周囲をめぐっていました。
木の根元の白い雪の上に、広範囲に橙色が散っている。
柿の木です。
冬の間も残っている、柿の実を食べにここに集まるのかと想像できました。
なるほど、ただでさえ食べ物の見つけにくい冬場、この鮮やかな色の果物はどれだけのご馳走になるのだろう。
柿の木を横目に、最後の登り坂をのぼって道路に出た時です。
目の前に、何か大きな足跡があるのに気が付きました。
体を引きずりながら通ったらしく、広い溝がついていて、その中にぽつぽつと足跡が刻まれているようでした。
カモシカではない。
もっと大きな生き物です。

ーークマかもしれない。
最初に思いついたのは、それでした。
思いついた瞬間、血の気が引きました。
浮かれていた気持ちが急にしんと静まり返り、真っ白な世界が急に恐ろしいもののように見えてきました。足跡は道路の上をたどるように、山の上と森の奥をつないで残されています。どちらから来てどちらへ去ったのか、私には判別できません。
それまで道路にそって帰ると楽だなと考えていたのですが、それはやめた方がいいと判断しました。簡単に子どもたちにそのことを説明し、青くなった子どもたちを奮い立たせて、元来た斜面で比較的楽な道を選び、帰宅しました。
*
…と言う風に、心底肝が冷える思いをしたのですが、今回のことで勉強になったなと思ったことがありました。
それは、
・冬場の柿の木周辺は、動物たちが寄り付くポイントになる
・人家の周辺でも、人の往来のない場所は、基本的に動物の世界であると思った方が良い
この2点を文字通り、肌身で感じられたことでした。
知識と経験のない自分たちが、不用意に動物たちのテリトリーに踏み込むのはやめた方が良い。
行けるからとどんどん山奥に踏み込もうとせず、人家が見え車等の生活音が届く場所で遊ぼう、と言うことを、深く胸に刻みつけました。
子どもたちも各人かなり鮮烈に怖い思いをしたようでしたが、おかげで色々と話し合う機会となりました。
どこでどのように暮らしていても、リスクと危険はついて回るもので、絶対安全に過ごすことはできません。彼らは彼らなりに、自分の住んでいる場所ではどんなことが危ないのか、どんなことはしない方が良いのかを意識していくきっかけとなったのであれば、一つの収穫だったなと思います。
なお後から思い至ったのは、もしかすると足跡の主である大きな生き物はクマではなく、イノシシだったのかもしれないということでした。
(足跡は体躯の痕跡でところどころかき消されており、あまり詳細には目視できませんでした)
またカモシカとイノシシは、足跡も良く似ているようなので、そもそも追いかけていった足跡がイノシシであった可能性もある訳です。
実際のところは分かりませんが、やっぱり野生の動物に不用意に近寄って、良いことは双方ともにありません。
自分が山の生き物について勉強を怠っていたことを改めて自覚し、反省しました。
先述のことを守りながら今後ものびのび雪の季節を楽しみたいと思っていますが、何かと判断材料になる知識は増やしておいて損はない。
ということで、クマのこともイノシシのことも、その他の生き物のことも、今後の宿題の一つとして取り組んでいきたいと思っています。
雪がとけたら

振り返って22年、3月も十日ほど過ぎた頃のこと。
ふと気がつくと、それまで分厚く何も見通せなかった雪の壁が、崩れて景色が見えるようになっていました。
地区の中に入っていく、小さな橋の上です。
朝日のお山から流れてくる川、その流れの上を渡っていく道。
あれっ…
昨日までここ、白い壁だったのになあ。
久々に見えた川面の景色に、ちょっと車を止めて呆然としてしまいました。
だってここ、あんなに強そうな壁だったのに。
たった、一日のことなのに。
と。
雪解けは、いざ始まると、本当に驚くほどに早いものだなと思います。
日一日、刻一刻と景色が変わる。
あっさり、忽然と消え失せる。
その素早さや、呆気なさや、まるで化かされたのかと思うくらい。
あんなに固くて重くて、あんなに苦しめられたのになあ…。
ぱっと、幽霊か魔法みたいに、どっか行っちゃうんだなあ。
以前の職場で「雪って春になったらどこに行くんだろうって、毎年思うんですよね」と言っていた人がいました。
地元生まれ、地元育ちの先輩職員さん。
その時は大して雪のことも知らず、ハアそうですね、くらいに思ったのですが、今同じことを言われたら、全身で同意したい気持ちです。
本当に、不思議になるくらいの様変わり。
それでもまだしばらく雪はぺたりと地表にくっついて景色の中に残っていますが、何だか発泡スチロールのよう。はっきり言って、不格好です。
時が進んで4月中旬にもなると、庭の雪はもうひざ下くらいまでの高さです。
一時はわたしの背をはるかに超えて、見上げるくらいの塊だったのですが…。
塀のようになっていた道路脇の雪もついに消えて、もう足を高く上げなくてもスタスタと歩ける。
庭先のコンポスターも、いちいち雪中から掘り返さなくても、気が向いたらぽいっと生ゴミを捨てに行ける。
ああ、万事やりやすくなったもんだなあと思います。
雪にはしゃいでいた子どもたち。
今度は、広ーい、広ーい!と言いながら、わあわあそこら中を駆け回っています。
雪も、それが無くなる春も、何かにつけて喜びの種。
暖かさに、明るさに、広さに。
思わずこんな叫びが内側からあふれてくる気持ち、よく分かります。

雪解け水が沢に流れ落ちて、ざあ、ざあ、とゆく音がしています。
昼も夜も、家の中にも届いてきて、春になったことが、身にしみて伝わってきます。
(2025年2月)
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