小ネタであったり、子ネタであったり。
記事を割くまでもない我が家の日常風景たちを、一つにまとめました。
※ これに伴って、記事をいくつか削除しました。ご了承ください。
※ 今後も落書き(特に子どもに関するもの)はこちらにまとめていく予定です。
上から時系列に並べています。最下部が、最近の落書きです。
助けてヒーロー(2020年7月)
とかいところの「とかさ」が、もーやんだくなっちゃったある日。
我が家のボケ担当・いちひめにちょっと救われた、ある日。
今でも家中にひっそり鎮座してる。あ○みちゃん。
2週間の進化(2020年7月)
きりない。
…ところからの、(ちょっとだけ)自立。
0~1歳までの日々の変化の幅って、計り知れないくらい大きいですね。
という話。
それぞれの思い(2021年5月)
思わず漏れたらしい、4歳児の本音。
なんだきみは。
モデル志望なのか。そうなのか。
午前四時のおせんべい(2021年8月)
だんなさん不在中、重なるにたろうの体調不良と、不安と寝不足と。
ワンオペつらいのだけど、ワンオペだからこそ、子どもが癒しであり救いでもあり。
そんなひと時がありました。
がんばったね。
がんばってるね。
ありがと、みんな。
いちひめ先生(2021年8月)
子どもと自分だけの時間が延々と続き、イライラ、ピリピリ最高潮。
そんな時、娘がふと教えてくれたこと。
この一言で、ずいぶん張り詰めてた気が抜けました。
うん。
命に関わることでないことは、全部「だいじょーぶ」だな。
ワンオペ期間のひそかな影の立役者、いちひめです。
ある日の姉弟たち(2021年8月)
三輪車で、二人乗りってできるんだね。
と初めて知った日。
ボー!と扇風機に向かって絶叫する。
ただそれを無心に行う、それだけのひと時。
かわいい呪い(2021年8月)
※ 右から左へお読みください。
ちょうど10ヶ月頃から1歳3ヶ月くらいの時期でしょうか。
ほとんど条件反射で、うきうきと身体を動かしていました。
その率直さ、素直さ。
めんこくて、めんこくて。
お盆のつれづれ(2021年8月)
お盆という期間に思ったことを、形にしてみようと思いました。
ご先祖さんを祀る、ということが昔はぴんと来なかったのですが、子どもが生まれて、その中に色々な身内の面影を見つけるようになりました。
ということは、自分の中にもいつか誰かのピースが残っていて、今に連なっているのかもしれない。
そう思うとなるほど、ありがたいし、かけがえがないような感じもします。
そんなことや亡くなった人のことをぼんやり考えつつ、スーパーに行ったら、見知らぬおばあちゃんに声をかけられました。
にたろうと同じくらいの孫がいるのだけど、コロナで会えないとか。
にたろうを見るまなざしの柔らかさが、妙に印象に残りました。
会いたいね。
元々帰省の時期と思っていると、会えないと逆にさみしさが、つのるよね…。
そう思う一方で、それでも家族が皆、元気。
会えなくても、どこかでちゃんと、息災でいる。
これってやっぱり、しみじみ嬉しいことなんだよな。
もう会えない人たちのことを考えると、自然に生きてるだけでよかったなあと思えてくる、お盆という季節。
騒ぎ立てる子どもたちに閉口しつつも、改めてそんな風に思った帰り道でした。
(そんな気持ちで描いた絵に、いちひめが色をつけてくれたのが、上の一枚です)
おまけ。
スーパーで子ども2人乗れるカートが導入されており、地味に感激した、という一枚。
ただし子どもはアトラクション気分らしく、とてつもなくハイテンションになります。
沈静化に、やや手間がかかります。注意。
日々の宝物たち(2021年8月)
ある日のわたしと、かれら。
女の子って、かわいいなあ。
男の子って、かわいいなああ。
ぐったりするし、げんなりするし、絶望だ!と思おうこともあるけど。
それと同じくらいめんこくて、救われて、優しい気持ちをくれる人たち。
わたしの宝物なのです。
おまけ。
彼を乳幼児だととらえると、結構えらいじゃないか、そう思った日がありました。
多分、疲れていたのでしょう。
ハッピーバースデー(2021年8月)
いちひめが、五歳になった日に。
親の目にはこんな風に可愛いばかりに見えていますが、多分内側では、わたしには計り知れないもの。
理解できないもの。
理解されたくないことも、含んでいるんでしょうね。
人間だもんね。
多分、まだまだ増えます。
(最終更新:2021年10月)
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