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人の集まる場所から とかいところ
そこで生まれ育った 子どもたちは
何を思うだろう
何が見えるだろう

とかいとこ育ち ≠ 超自然児
子どもを出産し育てる、
ということを始めて、今年で10年になります。
不思議なことに、最初は人知の及ばぬ異星人とでも言うべき存在だった彼らは、見る見るうちに私の暮らしの中心となり、彼らを通してものを見ようとするのが私にとっては当たり前、という生活になりました。
良くも悪くも、今の私は24時間365日、子ども中心のものの見方をしていると思います。
そんな暮らしをして、10年。
ここ数年、子育ての中で私が感じた「子どもの思い」「気付き」についてつづっていきたいと思います。
・
我が家には、子どもが二人います。
2026年現在、上の子が小学生高学年の仲間入りをし、下の子はピカピカの小学一年生になりました。
彼らは皆一様に、朝日町育ち。
家も赤子の頃からずっと変わらず、朝日山麓の麓にある、山間の集落です。
山に囲まれた場所を謡う「とかいところ」育ちなのだから、さぞかし自然に通じた子どもなんでしょうね、と思われるかもしれません。
が、はっきり言って、そんなことはありません。
姉弟どちらも、土いじりはどちらかと言えば嫌いな方。
畑と言う場所や営みにも、ほとんど慣れ親しんでおりません(これは我が家に畑が無いことも関係しています)。
外遊びは、まあまあ好き。
でも家遊びも同じくらい、もしくはもっと大好き。
保育園や小学校では、自然環境を上手く活かした保育や授業などもやって下さっているようで、鋭くあなどれない感性とまなざしを育ててもらっているなと思います。
そしてそれは、この辺りのお子さんたち皆に言えるセンスだとも思っています。
つまりは何が言いたいかと言うと、
うちの子たちは別に「とかいところ」ならではの自然教育や特性を身に着けた、スーパー自然派児童と言う訳ではないんですよね、
と言うことです。
あまねく子どもたちと同じように、のびのび好きなことをして遊ぶのが好きで、まだ固定されていない伸びやかな感性や想像力をいっぱい持っている。
そこに朝日町と言う、文字通り山岳も谷川もある場所で、協力的で専門的な大人の方々のサポートが加わった結果として、ささやかであり貴重でもある、底光るような気付きや経験が各人に蓄えられているんだろうな。
朝日町の子どもに共通する傾向として、そんな風に思って考えています。
そういう訳で、自然環境の恩恵を受けてのびやかに育っていることは確かだと思うのですが、特段サバイバルな方面に長けている訳ではない。
じゃあ「とかいとこ」らしさってのは大して無いのか。
と言えば、そういう訳でもないようでして、この数年、分かりやすく「自然環境」と言うのとは別の部分で、
ああ、
この子は「とかいところ」に生きているから、こんなことを言うんだろうな。
と思うことが出てきました。
主に、上の子が長じるにつれて見えてきたことです。
親としては嬉しいと思うことも、悲しいねと思うことのいずれも存在しています。
そしてどちらもが人の一生の中で感じることとして、とても大事な蓄えになるのではないかと思って、現在進行形で見守っています。
行動範囲内に、子どもがいない
読後感に差しさわりがあると嫌なので、最初に悲しいなあと思うことを書いておきます。
ずばり表題の通り、「子どもの行動範囲内に、子どもが住んでいない」。
これです。
朝日町は、面積的には広い町です。
住居に適さない山林も含まれるので一概には言えないかもしれませんが、そもそもぎゅうぎゅうに人が集まって暮らす必要のある環境ではありません。
《「お隣さん」から自宅までの距離が結構ある》という状況の、「素養」が元々備わっています。
そしてそうした環境で、更に町から人が出ていくという実際の傾向があります。
特に周辺部の「とかい」地区になればなるほど、住民が減りやすい傾向があるのではないかと思われます。
働き盛り&子育て盛りの年代の人からすれば、通勤や子どもの通学・進学に伴う「遠さ」が大きな生活の支障となりうることは、本ブログでも自分の体験を基に紹介してきたところです。当然、その世代の人たちから引っ越していく可能性は高いでしょう。
親世代の大人の数が減れば、子どもの数も連動して減ります。
密集した中心部を除き、隣接した地域に住む「ご近所さん」そのものが少なくなっている。子どもの居るお家は、更に少ない。
これを子ども目線で見るとどういうことかと言うと、「子どもが自分の足や自転車で行ける範囲の中に、子どもが居ない」ということになるのです。
そして御多分に漏れず、我が家もそうした例の一つです。
自力で仲良しの友達と家を行き来できれば良いのですが、悲しいかな山の中。
自転車に乗ったとしても、一番近い子どものいるお家までどれくらいかかるでしょう。また道中には、歩道スペースがほとんど無い、見通しの悪い山間のくねくね道があります。ここを子どもの運転する自転車で無事に走行して目的地まで辿り着けるのか。脇を走る車のスピードを考えると、何とも言えず不安の種です。慣れれば大丈夫、なのかもしれませんが。
子どもが自力で友達の家まで行くことが難しい。
大人が都合のつくタイミングで連れて行ってあげるしか、友達の家に行くことができないのが現状です。
これについては、広い朝日町の中で、決してうちだけのことでは無いと思います。
多数派ではないかもしれませんが、同じように「とかい」集落に住んでいて好きな友達のところまで好きに行くのが難しい子どもは他にもいることでしょう。
また少し話を広げると、「自力で好きなところに行く」ことができないと言う点では、公共の交通機関がほとんど無い以上、町の中心部に住んでいる子どもにも、目的地によっては全く同じことが言えます。
なので自分としては、子どもたちが自己判断で動ける手段が現実にもう少し増えると良いな、と考えています(既存のデマンドバスの増便など)。
実現には色々と課題もあるだろうと思ってもいますが、この可能性については自分も諸々勉強して、考えていきたいと思っているところです。
ともあれ、同級生皆と毎日顔を合わせることができた保育園を卒園し、ごく少数の同級生が集まる小学校で一年二年を過ごすうち、娘としては
「自分の足で行ける場所に、お友達が住んでいたらな」
と思うことがしばしばあったようです。
小学校では、複式のクラスで学年入り混じって楽しそうに過ごしている。そして放課後は学童に行って、そこで別の小学校の同級生とも遊ぶことは可能な状況です。
そうは言っても、やっぱりそれは「自分が遊びたい友達と遊びたい時に遊べる」ということではありません。
彼女の心の内を全て知ることなんてできないけれど、この環境に住んでいるからこその寂しさ、物足りなさ、「こうだったらいいのになあ」を確かに感じた場面が、いくつもありました。
彼女の「不足」の一因を担うものとして、正直、一定の悲しさと申し訳なさを感じない訳ではありません。
ただ一方で思うことは、親の勝手な願いだとはわかりつつも、彼女なりの足りない部分も、大きな「ばね」にして成長していってほしい、とも思っています。
正直、住環境はそう簡単に動かせるものでもなく、また現在の住まい・現在の学校だから良いよね、うちに合ってたね、と言うところもたくさんあるのです。現状、引っ越しは現実的な選択肢ではありません。
いいとこどりの生活は、なかなか実現しません。
だったら、うちの子どもたちにとって「不足」が、先に進む原動力となってくれたらとても嬉しい。
自分自身を振り返っても、自分が何を求めるのか、先々どんな場所で生きていきたいのか、「不足」はそれを追及する重要な手がかりにもなってくれると思います。
この数年娘の姿を省みて思うのは、彼女はそれを自力で始めているんだな、ということでした。
徒歩圏内の近所に同級生が住んでいる子どもたちの環境を、時に「いいなあ」と羨むようにしながらも、紆余曲折を経て今では、その表情はどこかさっぱりとしているように見えます。
どこかの時点で嘆くのをやめて、割り切ってその上でのことを考えることにしてくれたんだな。強くなろうとしてくれたんだな。
それを感じた時、人間としての彼女を信頼し、その姿勢を全力で応援したいと思うようになりました。
今はただ、「親ができること」のチャンスはせめて可能な限り逃さないようにと思って、日々に臨んでいます。
「親ができること」は実際はそんなに多くは無いけれど、行きたいと言った場所、遊びたいと言ったお友達のところは、なるべくそのタイミングを逃さないように協力して連れていくし、招きもする。平日でも、休日でも、都合のつけられる限り。
そんな風なことを、この数年は心がけて親業をやっています。
もちろん、全てのご期待に沿えるわけではないですが。
閉店、そこから出てきた考え
その一方で、「この考え方は、とかいところだから生まれてきたのではないか」と驚かされたことがありました。
と言いつつも発端はやっぱり、悲しい出来事でした。
とある年の春先、一軒のお店が閉店されたのです。
もしかするとアナウンスは前々からされていたのかもしれませんが、情報に疎い我が家がそのことを知ったのは、閉店の数日前と言う有様でした。
大人もショックでしたが、それと負けず劣らず多大なるショックを受ける子どもたち。せめて何か買いたいと強烈に主張するので、閉店の前日、出かけていきました。
その帰り道のことです。
子どもの口から「どうしてお店が無くなっちゃうの?」という質問が出てきました。
閉店に至ったご事情は勿論わからないし、彼らの知りたい答えになるかどうかも分からなかったけれど、ひとまず一般的な話をすることにしました。
町に住む人の数のこと。
人が少なくなった時、物を買ってくれる近所の人も減ってしまう場合が多いこと。
そうすると、買い物をしたお客さんからもらうお金よりも、品物をそろえる為にお店が支払うお金の方が大きくなってしまうかもしれないこと、などなど。
少なくともお金のやりとりについて一通り分かっている娘は、言いたいことを大分飲み込んでくれたようです。
「じゃあ、どうしたらいいの?」と言う質問が出てきました。
あくまで私の考えだよと前置きの上、「買ってくれる人を増やす手段」と「値段を高くする手段」があるんじゃないかと言った気がします。
買ってくれる人を増やすことについては、オンラインで遠方からでも買ってくれる人を増やす、宅配などお得なサービスをつけて未開拓の顧客層を掘り起こす、などの手段がまず考えつきます。
が、町に10年間住んでみて思うことは、「やっぱり通ってくれる人、実際にここに住んでくれる人が増えるといいよね」。
移住者、増えたらいいな。
合っている人にとっては、とても魅力的な場所だと思うのだけどな。
本ブログを始めた原点の一つとも言えるところに、しばし思いをはせる私。
すると子どもたちは、思った以上に話に食いついてきてくれました。
「じゃあ、どうしたら人が来てくれるの?」
「うーん。お店だったら、“ここにしか無い!”ってものを売ってると、強いよねえ」
レアなものは人気が高いし、値段が高くても納得して手に入れようとする人が多いよね。などなど、ゲームなどの身近な例を交えつつ、子どもでも何となく肌で経験したことのありそうなところから話してみます。
実際、それは口で言うほど簡単なことではないだろう、とは思うのですが。
すると子どもたちから出てきたのは、(実際はもう少しバラバラな言葉でしたが)要約すると、こんなような言葉でした。
「わたし、将来誰も他でやってないようなお店をここで開くことにする。
それで外から、人が入ってくるようにする」
「じゃあぼくは、誰も作ってないような建物を作る」
えー、
ほんとに?
…もちろん子どもの言うことなので、真には受けられない。
日々移り変わっていく夢のひとかけらに過ぎないと思います(そして、子どもはそれでいい、それだからいいのだ、むしろそうであれとも、強く思う)。
ただ、ちょっとびっくりしてしまった。
彼らは自分が言いたかったことを真正面からきちんと受け取ろうとし、過疎地で行う経営の難しさや移住者の必要性について内容を汲み取り、更にはそれを「将来やりたいこと」として挙げてくれた。
小学生と保育園児、そんなにきちんと聞いて、飲み込んで、レスポンスまでくれるとは…。
同じ年代の頃、自分は何をして、何を見てたかなあと思い返すと、何とも気恥ずかしくなります。とてもゆるくて、甘かったことだけは違いありません。
1990年代の街中で、物と機会にあふれた暮らしをしていたな。
町のお店の営業終了を、こんなに残念に思うこともなかった。と言うか、閉店したお店を見たことがあっただろうか?
ましてや、どうして閉店と言う事態になってしまうのかを考えられたことも無ければ、それを何か将来の目指すことにまでつなぎ合わせたこともありませんでした。
この手の話に、少なからず興味があったと言うことなのか。何か、子どもながらに身に迫るものがあったのか。
よくわかりませんし、その後も案の定、彼らの将来の夢はころころと変わっていきます(笑)。まあ、そうだろね。
が、それでも考えてみれば、とかいところを取り巻く環境について、彼ら・彼女らにだって見えるものがあるんだよなあ。
このことがあってから私はむしろ、
「ここだから、子どもの目に映っているものがあるのだ」
と考えるようになりました。
もちろん、この状態で見えるものが、必ずしも彼らに嬉しいものばかりであるとは思ってはいません。あんまり感じたくないことだってあるのかもしれない。
ただ先述の話とも通じて、「無い」ということが思ったよりも大きな、彼らにとって意味深い体験となっている。そんなこともあるのかもしれない、とも思う。
ここだからこそ、見えていること。
ここだからこそ、学んでいること。
ささやかだけれど大きなそうした一瞬一瞬は、多分どの子にもこの子にも、あるのではないか。
これを私が大事だと思うのは、この町を悩ませる人口減少や少子高齢化と言う現象が今、日本や先進国と言われているたくさんの国でも、もう既に同じように始まっているからです。
この町の規模は一国よりもずいぶん小さいけれど、本質的には同じことが起きている。
人が減ってくると、どういうことが起きるのか。
街場ですらそんなところと直面して、国全体で取捨選択をしなければいけない時代が、そのうち嫌でも来るのでしょう。
彼らはそんな時代を生きていかないといけない。
この町で育って、何が見えるのか。どんな力を、身につけようと思うのか。
それは、私を含む今の大人たちにも見えるものなのか。共感できるものなのか。
彼らのこの町での体験と感性は、これからの時代を生きる個々人の人生においてとても大事なものになるのではないかと言うのが、目下の私の想像です。
町の命運を子どもたちに背負わせたい、と言う意味では決して無く(むしろそんなことを個々人に強いたくはないです)、ただただ、とても気になっています。
どんなものが見えてくるんだろうなあ。
その辺のアイディアを交換こできる日が来たら、例えば神山まるごと高専や海士町みたいな、ちょっと新しくて面白い取り組みが始まることだってあるかもしれない。
もしくは、全然そうはならないかもしれない。
どっちにしても、「<なにか>が無い」というところから見えるものが、彼ら彼女らが進みたい道において強力な味方になってくれれば良いな、と言うのが一番大きな願いです。
そういう訳で、私はこれからも町を取り巻く物事を、機会があったら我が子たちにも伝えて(一緒に考えたいと言ってくれる子がいるなら、その子たちも是非一緒になって)、分からないところは自分も勉強し、意見交換をしていければ良いなと思っています。
学ぶこと、アップデートしていくことは、まだまだ山積みです。

バスのテスト運行に寄せて
最後は、個人的にとても嬉しいお話でしめくくりたいと思います。
2026年現在、朝日町に隣接する左沢と町をつなぐバスが、土曜日限定で試験運行されるようになりました(詳しくはこちら)。
左沢(大江町)には、電車の駅があります。これもまた朝日町には「無いもの」の一つですが、左沢までバスで出ることができれば、山形駅や寒河江駅と連絡することが可能になるということ。通学や買い物、新幹線乗車などの便利が主に想定されているようです。
利用料は大人200円、子ども100円となっています。
私がこれを喜んでいるのは、これを駆使すれば「子どもたちが独力で街場に行くことができるようになる」から。
自分自身は実家に自家用車が無いこともあり、小学校中学年頃から市バス・JR等の公共交通機関を使って単独で出かけることも当たり前の生活でした。
なので、そうした機会が無いのはやや残念に思っていたところです。
自動車での移動が大多数を占める車社会のことなので、公共交通機関が無くたって生きてはいけるし、とかいところで生きられる大人になろうと思ったら、実際に必要なのは自分で車を運転することのできるスキルの方です。切符の買い方や乗り換え方が分からなくても、運転さえできたら実はそんなに困りません。
でも、子どもたちが自分だけで行動してみるのは、判断力と責任力を培ういい機会になります。
バスに乗り遅れて困った時、電車を乗り間違えて困った時、お金が足りなくて困った時、頼りになるのはまず自分。そんなことは大人になってからも各所で起こりますが、事前に少しでも慣れておけば、「まあ、今回も大丈夫」と思える。そして、具体的な窮地の切り抜け方を蓄えることができる。
そういう機会が、この場所でもぜひ欲しい。
欲しいなあ。
と、そんな風に思っていたので、この試験運転は、自分としてはとても有難いニュースでした。
まずは私が同行しながら乗り方や路線の見方などやり方を覚えさせ、そのうち子どもたちだけで行きたいところへ行けるように練習させよう。
そんな計画をひそかに立てています。
財布を持たせて自分で運賃払わせて、おまけにおやつも持って。気分はすっかり、遠足のノリです。
とは言え、あくまで2026年度の試みということで、来年度以降はどうなるか分かりません。
利用者数が継続可能な水準に達してくれればいいな。
私も貢献する為、バスに乗る用事をたくさん作らねば。
テスト運行を企画・実施して下さった役場の関係者の方々に、まずは感謝の意を申し上げます。
・
とかいところで 生まれ育った子どもたち
行きたいところに行きたいし
なりたいものになれるといいね
その時 もしもあなただけが見てきたものがあるなら
それはたぶん 大きな力になって
足の下からあなたを強く支えてくれる
どこに行ったって 行かなくたって

はたまた

こんな風かもしれませんね

