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どうだ、下の子、おがったか。
上の子、どうだ。
…とは、前職場にて厳しくも温かくご指導くださった上司の方が、良くかけて下さった言葉です。
「おがる」というのは、こちらの言葉で「大きくなる」ということ。
子どもがおがった、スイカがおがった、というように使います。
その方は、「どう?子ども、大きくなった?」とこまめに聞いてくださっていた訳です。
私はこの言葉を上司からかけてもらうのが、ひそかに好きでした。
本日は、子育ての話についてです。
2022年は我が家も例外なく、ほとんど常に感染症による行動制限に振り回されていたように感じます。
大都市に比べれば感染症の波が押し寄せるのが遅かった、朝日町。大きな混乱も免れました。
それでも病気の波はやってきて、時が来るとまあ、至る所で顔を出すこと。
子どもが通う保育園も今度はこの学年で出た、次はこっちのクラスで出た。濃厚接触者扱いになることが頻繁に起こり、突然一週間ほどのお休みが降ってくることが度々ありました。
またそれに伴って鼻水や咳といった風邪症状についても、受け入れ態勢が厳しくなりました。
正直ただの鼻水だな…と感じる体調でも、病院へ通院が勧められ、体調が良くない時はできるだけ自宅療養がお勧めされます。
とか言って、行った先の小児科では、もっと性質の悪いウイルスをもらってきたり。あるあるですね。
これが仕方ないことなのは、分かっていました。
そうでなくとも町の保育園は、町にたった一か所しかない保育施設。
全町民の子どもを預からなければいけない場所だと考えると、感染症予防を徹底して行わなければいけないのだと言うことは十分理解できますし、むしろあの混迷した状況で対策を継続して行い、できうる限りの対応してもらっていたと思います。
振り返ってみても、改めて感じるのは感謝の気持ちです。
…ただこうも頻繁に、そして突然に、組み立てていた全ての予定がおじゃんになる。朝急に発覚する熱、さあ仕事だと取り掛かった矢先に電話で宣告される子どもの体調不良。
その状態がいつ回復するのやら、見込みも立たない。お金はその分、減っていく。
誰のせいでも、ないけれど。
かわいい我が子ではあるけれど、家に居れば体調はほとんど通常と変わらない。もてあますエネルギーを、いつまでとも知らない日々の中、今日もまた、今日もまたと常に受け続ける…
これ、いつまで続くのかなあ。
ベビーシッター、病児保育。
お金を払えば、こちらの希望する時間に子どもを預かってくれるような場所。
これに該当するような制度やサービスが、残念ながら現状、町にはありません(*1)。
あったらなあ。
作れないかなあ。
…
22年はこうした、「子どもを誰にも頼めない」=「いついかなる時も、何事も、100パーセント私と旦那さんのどちらかで何とかするしかない」という、無保険・無保証に近いような非常に切羽詰まった期間を何度も過ごし、改めて今まで見えていなかった移住家族ならではの不便さに気付くことがありました。
旦那さんも居る時はまだいいのですが、彼が出張の時は実質自分一人しかいない訳で、自分が急に事故に遭ったら、病気で倒れたら、子どもはどうなるだろう…などの可能性を考え出すと、うまく眠れない夜もあったくらいでした。今は随分慣れてきて、そこまで思いつめることも無くなりましたが。
この不便さの一つの要因となっているのは、やはり突き詰めれば「人の少なさ」かと思います。
人数が少ないが為に採算が取れず成立しないサービスがあることは、これまでも感じてきましたが、それが自分の生活にどんな風に関わってくるのかということ、そしてその上でどんなところが改善されれば良いと感じるのかということを、この一年は改めてつらつらと考える良い機会でした。
そしてそれを踏まえた上で、自分はどんなことを子育ての中で重視しているのか、ということも。
とかいとこ暮らしもまだまだやっと初級になれたかなくらいの身ではありますが、今回は現時点での小括として、「過疎地と子育て」について良いところも困ったところも含め、ひとしきり思いを巡らせた次第です。
住民が少ないということ
マイナスであること、そうでないこと
冒頭部から「人が少ないがゆえの不便」を掲げてしまった訳ですが、朝日町に住んでいると、どこかで誰もが、この「人が少ない」問題に直面すると思います。
朝日町は戦後の早い時期から人口減少が進み、全国的にもいち早く過疎化・高齢化の波を受けてきた町です。
町報に毎月、住民数が掲載されるのですが、転出者の数が転入者を常に上回っており、生まれてくる子どもの数よりも先立たれる年配の方の数の方が多いので、どうしても月々人口は減っていっていることになります。
よそから来た私でも悲しく感じますが、まず受け止めなければいけない、町の現実でもあります。
(※現在の町の規模は、こんな感じです → 朝日町の人口動態:役場HPより)
――とはいえ個人的には、「コミュニティに属する人数が少ない」ということは、ほぼイコールで「顔見知りが多い」。
ゆえに、
・ 目が届きやすい(何か問題が存在していることに気づきやすい)
・ 問題の内容を把握しやすい
・ 相談・協力しやすい
ということでもあると思うので、人が少ないことが一概にマイナスばかりとも思いません。
少なくとも我々移住者家族にとっては、人が少ないがゆえに救われていると感じることが諸々あります。
町役場との距離感
例えば私が常々思っているのが、役場と住民の「距離の近さ」です。
町に住んでいて、何かとお世話になるのが役場です。
住民票をはじめ、税金、健康福祉、農業、土木…
町に住む人や企業、公共の物事、町のあらゆることに関わっている町役場。
町議会と合わせて、人が町でより良く暮らしていけるよう、町の物事がうまく回っていくように、各所で支えてもらっているところだと感じます。
朝日町役場の良いところは何よりも、対応が丁寧で親身で、有難いということ。
各種届け出のこと、税金のこと、子どものこと、確定申告のこと、等々。
何を聞いているのだろうと自分でも思うくらい初歩的なことを聞いたりもするのですが、一つ一つきちんと返して下さいます。
私が今まで住んできた自治体は、もっと横柄だったり分かりづらい対応も多かった。少なくとも今まで住んだことのある大型の都市に比べたら、とても細やかで温かい対応をして頂いています。
また一住民として常々思うことは、朝日町ではその時その時の状況を鑑みて、町民のニーズに合わせた対応(補助金、児童手当金や地域振興券など)が組まれることが多いように思え、とても助かるということ(あくまで個人的な感想ではありますが)。
これらは正しく、先に挙げた「目が届きやすい」「問題を把握しやすい」「相談・協力しやすい」ということに由来した嬉しい部分です。
大人数を抱えた都市部では当然、住民の要望をすみずみまで把握しきれなかったり、一人ひとりの「?」に向き合ってはいられないと思うのですが、ここでは住民の少なさゆえにそれがよりベターな形で実現していると感じる。
この町民と行政部分の距離の近さは、小さい町ならではの「強さ」と言っても過言ではないと思っています。
待機児童について
人口が少ないこと、そして先述したように託児サービスが保育園以外に存在しないことは、保育園への入所のしやすさにも影響しているように思います。
個人的な体験談ですが、本当に幸いにしてこのご時世にあって、「保育園に入れないかもしれない」という苦労を我々は、朝日町では全くすること無く済んできました。
これは移住者ということに配慮してもらっている、非常に有難く嬉しい点だと思います。
我が家のように大人が父母二人だけ・親戚が近所に居ない・共働きという場合、ただ唯一の託児サービスである保育園を断られてしまうと、親はどうしても働くことができず、生計にも大きく影響が出てくる。それゆえ、長女も長男も、希望した月からしっかり入園させて頂きました。
冒頭で保育園以外に子どもを預けられる先が無いと嘆きましたが、ここではその事実に救われたとも言えます。そう考えると、何とも複雑な気持ちですが…。
とはいえこれはあくまで移住家族の一例であって、実際は朝日町でも、待機児童の問題と全く無関係というわけではないと思います。
町でも保育園の現場はまま人手が足りないことがあるようで、しばしば入所希望の子どもが多くて大変だという話や、祖父母がいるお家は3歳未満児はなかなか入れないという話も耳にしてきました。
祖父母と同居の家族をうらやましく思うことも正直多々ある自分としては、これもまた複雑な気持ちです。
(2023年11月現在、未満児保育のニーズに応える為、施設拡充の工事が行われています。現場も日々改善に努めていらっしゃると感じます)
我が子の成長過程を振り返ると、保育園から役場から議員さんから、各所で色々な方が現場に取り組んで下さって、町ぐるみで我が家の困りごとに配慮をしてもらって、やっとここまで子どもが大きくなってきた。
それは本当に、紛れもない事実だと思います。
「小さな町」「人の少ない町」だからこそ、困っている人に気が付いて配慮ができるということもあると思いますし、それだけでなく、そこに配慮をしよう、受け入れようと考える朝日町の気風みたいなものもあると思います。
この場を借りて、各所で頂いているご厚意に、改めて感謝です。
移住者増加について
一方で繰り返しになりますが、やっぱり人が少ないと実現できないこともある。これも分かります。
当然のことですが、人が少ないと町内を回る金額がそもそも小さい訳で、回るお金の額が少ないと、それなりに需要はあったってどうしても採算がとれないことがある。
以前は走っていたという、バスの廃止。昔はあったという、商店街。
私がこの町に越してきてからも、長年続けていらっしゃったお店が閉められるのを目の当たりにしたりもしました。
教科書やニュースを通してだけでは実感できなかった「少子化」や「過疎化」という言葉の意味。それを、日常の中で身にしみて感じることがあります。
ということで、人口増はやっぱり依然として長期的な課題ですが、じゃあどうやって人を増やしていくのか。
出生率を上げるということについては、朝日町だけで盛り上げて人口増に転じようというのは、正直無理があると思います。
(そうでなくとも朝日町では結婚しているところでは子どもが2人いる家庭は一般的、3人~4人いる家庭もまあまあ普通にいらっしゃるので、現代都市部における平均的な傾向からすると、もう十分子だくさんで頑張っているのではないかと…)
ということで人口増の為の手立ての一つとして、「移住者を増やす」ということがより現実味を帯びて浮上してきます。
補助金など政策的なところもあり、都市部の人にとって地方に移住することが、今日ずいぶん現実的な選択肢になってきたと思います。
これが町にとっても追い風になっていけばというところですが、一方で思うのは、長期的にきちんと住める人に来てもらうには、住み手の求めることと移住先の状況がちゃんとマッチングしていることが本当に重要だろうなということです。
例えば住みたい人サイドからすると、
・仕事のスタイル(通勤/在宅)
・子育ての有無
・通院の必要性
…みたいな個々人の事情と、町の環境が合っているのかどうか、ちゃんとシミュレーションして吟味する必要があると思います。
何か不便がある場合、それを補うのがまま人力だったりしますが、家庭内の人手で補えるのか。移動手段は基本的に自家用車で、雪かきや草刈りなどの力仕事をしなくてはいけないこともあります。
また町サイドとしても本当に移住者を呼び込みたいと考えるのであれば、地縁血縁のない移住者が暮らしていくのに、具体的に何が不足しているのかに向き合う必要があるのではないかと感じます。
とにかく住みたい人も住んでほしい町としても、「こんなこと想定してなかった」というミスマッチが多いと、いずれどこかで限界が来てしまうと思うのです。
合わないところがどこかにあるとしても、「知ってる、分かっている」ということが案外大事かと。
本来あまり自分の生活には合っていないと感じることでも、事前に知ってさえいれば大丈夫、と言えることもある。知っていれば、それなりに妥協策や対応策を見つけられます。落としどころを見つけて、暮らしを続けることができる。
総体的に見て、ここの暮らしが物理的にも気持ちの上でも、合っていることの方が多い。
そんな人たちの無理のない移住が長いスパンで増えていけばいいなと思っていますし、移住者の一人としての自分の発言や提案が何かの役に立つことがあればなと思いつつ、日々を過ごしています。
「おがって」ほしい場所
大人がちゃんと子どもと関わっている町
以上を踏まえつつ、子育てについて私は
「できる限り子どもたちをここで育てたい」
という思いを依然として持っています。
不便を感じてもなお、です。
もちろん制度やセーフティネットの面では、冒頭で書いた通りの状況です。
ただ一方で、それを補って余りあると感じるのが、
・ 周囲の大人からの目が、子どもによく届いている
・ 周囲の大人が、子どもにすごく関わっている
ということです。
人の少なさも関係して、町の中の人間関係は濃密です。多くの人が顔見知りだったり親戚筋だったりします。
するとどうなるかというと、町の中で会う大人が、子どもの名前や顔をちゃんと覚えていてくれることが増えるのです。
我が子の顔を、名前を知って、きちんと接してくれる人たちのなんと多いこと。
色々な人が、我が子たちを認識してくれている。
我が家のように大人が二人しかいない家族としては、家の外部に見知った人たちがたくさんいるということは、安全の意味でも社交の意味でも本当に有難いと感じています。
そしてそれ以上に、思うこと。
それはこうした大人の呼びかけって、思う以上に、育ちゆく小さな人たちの自信のよりどころになってくれるのではないか。日々を進んでいく為の大きな力になるのではないかな、ということです。
いちひめちゃん。
にたろうくん。
おはよう。久しぶり。
そんなことしたら、だめだよ。
この間、こんなことあったんだってね。おめでとう。良かったね。
沢山の大人たちから名前を呼んでもらい、「自分」という存在を認識してもらう。
そうして育った子どもは、自分で「信頼できる自分」が、どんどん増えていくのではないか。
「好きな自分」が、どんどん増えていくのではないか。
我が子たちが「自分」という輪郭をきちんと持って、行動していけるようにしてくれているのではないか。
この町で育つ子どもは、そんな風にしてちゃんと「おがって」いけるのではないか、と。
そんな考えがあって、私はこの町で子育てをしたい、と自然に思うようになりました。
主観でしかないのですが、実際にこの町には、とてもしっかりとした子どもたちが多いと思いように見えます。
きちんと挨拶ができて、きちんと人の話が聞ける。
思春期はまた違うのかもしれませんが、保育園から小学校まで触れ合ってみると、人に興味を持ってくれる子どもが多くて、何かと色々話しかけてくれる(これが、おばちゃんはものすごく嬉しい)。
ちゃんと人に向かっていけることが、当たり前のようでいてそうではないということは、かつて同じ道を通ってきた自分自身が一番痛感しています。
あさひっ子、強し。
それを育てている、あさひ大人、なお強し。
…というのが現在の自分なりの子育ての理想像でして、朝日町に転がり込んだのはかなり成り行きでしたが、今はかなり積極的に「ここ」で子育てをしたくてしています。
ただこれはあくまで親である私が思うことでしかないので、今後うちの子どもら自身が、この濃密な世界をどう感じていくかまでは分かりません。
いつも注がれる誰かの目が「よりどころ」だけでなく、「しがらみ」「圧力」であることも、恐らくあるのだろうなと思います。
何事にもメリットデメリット両方あって当然ですが、願わくば「小さい町」ならではの恩恵を、子どもたちがたくさん受けて育っていけたらいいなあと思っています。
移りゆく環境の中で
2023年4月、晴れて我が家のいちひめは、小学校の1年生になりました。
町内に三つある小学校の中で、一番小さな小学校。
クラスは最初から、複式学級。
でもその分、友達の、先輩の、先生たちの、サポーターさんたちの目が届きやすい環境でもあります。多学年が交じり合って活動することも多く、いちひめの口からは毎日、6年生の〇〇ちゃんがどうの、××ちゃんのお兄ちゃんの△△くんがどうの…と、「憧れ」と「好き」の入り混じった楽し気な言葉が聞こえてきます。
まだまだ自分の気持ちを伝える術のつたないいちひめにとっては、かえって心強いスタートだったのではないかと様子を見ています。
一方で、こうした環境もいずれは変わらざるを得ません。
今、町では著しい少子化を受け、現在ある全小学校中学校が廃止され、全てが合わさった一貫校(義務教育学校)を新たに設立することが計画されています。
きっかけは町民に対するアンケートで、1クラスを占める子どもたちの数がどんどん減っていることに、マイナス要素が多いと感じる声が非常に多かったのだそうです。
個人的には、聞いた当初は正直残念だなと思う気持ちもありましたが、時間が経つにつれ移り変わりは致し方ないことと思えてもき、またそれを問題だと感じる声が町の中で多かったのであれば、それは仕方がない。いっそ前向きに変化に臨むことができれば、と思うようになりました。
新しい学校では、下は小学校1年生から、上は中学校3年生の年齢までが、一つの学校として同じ枠組みの中で学び、生活していくことになります。
実は私も10月より、この新しい学校の開設準備委員会にお声がけ頂き、視察や話し合いの場に参加することになりました。
まだまだ参加し始めたばかりですが、個人的には「これは町の人みんなで決めていく話なのだ」ということを常に念頭に置こうと思っています。
何せ、話の規模がでかい。
これまで小学校と中学校に分かれていたところを一緒にするというだけでなく、それらを総括する教育スタイルも、根本的に見直される可能性が大いにある話です。
例えば、
・ 単純に1~6年生+7~9年生(従来の中学1~3年生)というのではなく、心身の成長過程に応じた区分を設けて、その中で新たな教え方、関わり方をしていくことになるかもしれない。
・ 地域住民との関わりというところもこれまで以上に重視して、地域に開かれた学校を目指していくかもしれない。
現実にこれまで視察が行われてきた他の学校では、そのような点で従来とは異なる体制を採られているところが多くあり、朝日町でもそうした「今までとちょっと違う学校」を射程に入れているということかと思っています。
これに伴い、根本的な学校教育の見直しを求める声を聞くこともありました。
そもそも義務教育という場に何を求めるのかという話ですが、例えば従来通りの勉学や社会性を身に着ける以上に、深い思考力やたくましい主体性を身に着けてもらいたいと思う声。
従来は設けられていた制限を取っ払って、自由なシステムの中で子どもたちに力をつけてもらいたいという意見。
そもそも義務教育という制度に従わなければならない立場の現場の先生方が、どれほど新しい取り組みにチャレンジできる余裕があるのかという話もあるかと思います。
議論の振れ幅が大きければ大きいほど、たくさんの子ども(我が子も漏れなく含まれますが)、たくさんの大人の今後に大きく影響する話だと感じ、また当然ながらその中で意見の取捨選択が行われるからこそ、町全体で関わって決めていくことなのだと強く思います。
一つだけ自分の意見をここで述べさせてもらうと、先日参加させて頂いた視察で思ったことなのですが、「その町のこれまで積み重ねてきた体験や物語の上に、今日の学校の在り方ができあがっているのだな」ということでした。
その時伺った町ではとても開かれた考えで素晴らしい内容の学校・そしてこども園が営まれていたのですが、それは一足飛びに、そして理念だけを以て培われてきたのではなくて、十年以上のその町の体験があったから作られてきたことなのではないかと。それくらい、時間をかけて構築されてきたものを感じたのでした。
それと同様に、私は朝日町にも同じように、これまで朝日町のやり方で、ペースで形成されてきたものがあると思います。
町が今まで体験してきたこと、重視してきたこと、これまでに一つずつ重ねてきた物語。それらを発展する形で議論を進め、その上に新しい学校の形を構想することができれば、それはとても素晴らしく、また滅多なことでは倒壊しない力強いものになるのではないか。
というのが、現在の私の個人的な意見です。
とにかく町の色々な人たちが、そして子どもたちが一緒に、困難だ、ではなく、楽しみだ、と思って考えていけたらいいですね。
子ども、おがったか。
はい、おかげさまで、ここまでおがりました。
まだまだ、おがってほしいです。
いいこと、好きなこと、宝物の数々を山ほど心に詰め込んで、まだまだ。
注記
*1 ファミリーサポートについて。
実は朝日町には「ファミリーサポート」(以下、ファミサポ)という会員制のサービスがあり、有志の町民が会員となって、保育や送迎など、各家庭での困りごとを依頼することができます。我が家も随分お世話になってきていて、嫌な顔一つせず子どもの世話を請け負ってくれた会員さんには、本当に感謝しています。
ただ、今回これは以下の理由で、「お金を払えば希望した時間に預かってくれるサービス」に含みませんでした。というのは、
(1)預かってもらえることが常に保証されている訳ではない。
ファミサポは、あくまで「個人」と「個人」のつながりという形で行われています。
具体的には支援センターが間に入り、困っている家庭と引き受けてくれる会員を仲介してくれるのですが、その後は必要がある度に依頼者がサポーターとなる会員に個人的に連絡をとり、依頼を引き受けてもらえるかどうかを尋ねます。
つまり会員の方が予定が合わなければ、そこで諦めるか、改めて他の会員を探して頼まなければならない訳です。
我が家の場合はファミサポを頼みたい時というのは、十中八九子どもが保育園に行けない(病気など)けれど仕事には行かなければならないという状態でしたが、これは急を要します。大体依頼をしたい当日の朝に熱が発覚して、出勤するまでの数時間のうちに何とか対応策を立てなければいけない。頼みの綱であるサポーター会員さんが一人しかおらず、その一人が引き受けられなかったら、また支援センターに新しい人を紹介してもらえないか聞いてみて…なんて悠長なことはしていられない訳です。
依頼をする側としては、これはやはり「個人から個人への頼み事」という形に留まっているが故の限界なのではないかな、と。
例えばこれがファミサポのサービスを采配する「組織」(現状を発展させて考えると支援センターですが、別に他の組織を立てても良いと思います)があって、これに対して各家庭が依頼をし、その組織が都合のつく会員が居ないか探してみてくれる、というサービスであれば、話は随分違ってくるだろうなと思っています。
(2)引き受ける会員が受け取る報酬が少ないので、正直頼みにくい。
ファミサポは、一応有償のサービスとして行われています。1時間の依頼遂行に対し、依頼した人は引き受けてくれた会員に対して、500~800円の代金を支払います。
具体的には平日の午前7時~午後7時までで500円、休日の同じ時間帯で600円。それ以外の時間帯だと平日で600円、休日でやっと800円になります(2023年11月現在)。
近隣の寒河江市にある病児保育サービスを利用したことがありますが、これは5時間くらい頼んで2,000円+お弁当やジュース代数百円でした(しかも実は町からの半額補助もついてくるので、実質千円ちょっとで済みました)。
ということでもちろん支払う側としては、ファミサポの方がやや割高なように感じられるかもしれません。
が、これ、引き受ける方のバイト代と考えてみたらどうでしょうか。
1時間500円って、最低賃金にも到達していません。
会員さんが普段行ってらっしゃる果樹のバイトの方が、収入源の一つという意味ではよっぽど割がいい状態です。
ファミサポは恐らくどの会員さんも「人助け」という気持ちを持って困りごとを引き受けて下さっているのだと思います。そしてご年配の方が多いと思うので、金銭的なところはもしかしたらあまり問題ではないのかもしれません。
そのご厚意は本当に有難いものだし、それがずっと続いてきたということはすごいなと思うのです。
ただ身近に血縁のない我が家が「こんなのが町にあったらいいな」と思うサービスは、やっぱりきっちりお金を支払っていいから(というか対価はきちんと取ってほしい)、定員でなければ「いつでも」「なんでも」お願いできるサービスです。
上に代金のことを書きましたが、会員さんに支払われる報酬の安さを思うと、正直困っていることを「なんでも」お願いはできない、という気になります。
早朝や深夜の保育や、依頼をした当日の保育。空いた時間に入れていた他の予定をを蹴ってまで引き受けてくださいと、そうそう何度もお願いはできません。
相手の方の厚意が大きければ大きいほど、正直、申し訳ないなと感じて頼みにくく思います。
…という二つの理由で、ファミサポは今回本題では触れずに話を進めました。
改めて言いますが、ファミサポの会員さんには本当にお世話になってきたし、これが無かったら我が家は早々に町での子育てで詰んでいたと思います。それぞれの方のお人柄も含め、心から感謝しています。
ただそれとは別に、今の時代の核家族の暮らしからすると、利用が難しい要素が複数あると感じてもきました。
外からの移住者増加や子どもたちの増加を目指すのであれば、祖父母のサポートがある町民をモデルとするのではなくて、共働き夫婦/ひとり親と子どもだけという町民をモデルとして物事を考えてもいいのではないか。
ファミサポを含む子育てサービスも、「家庭内のサポートが見込める人」を前提とするのではなく、「家庭内にサポートが無い人」を前提として、今後の改善が必要となってくるのではないか。
そんなことを考えながら、一移住者の意見としてつらつら述べさせて頂きました。ここまで読んでくださった方、有難うございます。
(2023年11月)
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