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マヨです。
本当に長いこと間が空いてしまいましたが、やっとやっとできました。
以前から宣言していた、「仕事と生活の仕方・その2」です。
にたろうの育児やコロナ禍による自粛生活の中で、なかなか進まず…待って下さっている方がいらっしゃったら、本当に失礼しました。
今回、かなりのボリュームになってしまったので、さっさと本題に入りたいと思います。
以前に書いた「仕事と生活の仕方・1」の記事では、自分が雇われて働いていた時のことを紹介し、「とかいところ」に住みながら、どんな風に仕事と生活を両立できるか?ということについて考えてみました。
今回はこれとはまた別の仕事の仕方として、「自営業」…「個人事業主」という働き方について考えてみたいと思います。
(「個人事業」と一口に言っても色々な働き方があると思いますが、ここで扱いたいのは「自分で事業を起こし、経営を行う仕事」の仕方のことです。ちなみに我が家は現時点では、登録を済ませた法人ではない状態です)
まずは導入部としてだんなさんのことを紹介し、そのあとに個人事業のことについて話を広げてみたいと思います。
(なお、画像はすべてクリックで拡大します)
1.だんなさんの仕事(金属工芸)の場合
だんなさんにとっての「とかいところ」
我が家のだんなさんは、金属工芸作家として収入を得ています。
アルミニウムを主たる素材として、器やカトラリー、花器、ジュエリー、名刺入れ、ご依頼があれば表札やストーブの囲いまで、様々なものを作っています。
特徴的なのは、金属に「染めつけ」をしていること。
金、黄色、鮮やかなピンク、紫など、主に草木を原料とした色彩を染め付け、独特の風合いを生み出しています。
「とかいところ」の我が家ですが、彼はわざわざこの「とかさ」を選んで、制作を行っています。
どういうことでしょうか。
メリット① 大きな音を出せる
彼の仕事の内容は「作ること」と「売ること」に大別できますが、このうち日々の仕事の大半を占めるのは、「作ること」です。
「作る」作業も色々ありますが、素材となる金属の形を変えるのに、金槌でトンテンカンテン、と打つ行程があり、これが本当に大きな音が出るのです。
(だんなさんは毎日、大きな耳あてをつけて作業しています)
この点、周りに人の少ない「とかいところ」では、大音量を出しても周囲に迷惑をかけにくい。
聞けば彼のこうした仕事を行うのに適した場所は、騒音の絶えない「鉄道の沿線」か、こうした「人家が離れている場所」なのだとか。
「とかいところ」は、正に理想的な制作場所と言えます。
メリット② インスピレーションを与えてくれる
わたし自身この場所に魅了されてブログまで始めてしまいましたが、そもそもこの「とかいところ」は、他ならぬだんなさんが見つけ出して住みついた場所です。
季節のめぐりの中でこそ、都市部にはない静けさの中でこそ、感じられるものがある。気づけるものがたくさんある。
それが、だんなさんが作るものに、大きな影響を与えていると言います。
総じて彼にとっては、ここの「とかさ」は、とても良い環境として機能しています。
デメリットを消す働き方
では、「とかいところ」ゆえのデメリットはどうなのか、というと…。
彼の仕事は、このデメリットを受けないように。
つまり目的地までの「距離」が「不便」に変わらないように作られています。
どういうことかと言うと、制作の場所と住居を近接させた「職住一体型」にして働いているのです。
「作る」「売る」が主な業務内容で、日常的には「作る」のが主な彼の仕事。その場所と生活の場である住まいが近ければ近いほど、通勤の時間と労力がかからない。
(わたしの場合、この通勤の手間暇にかなり体力と気力を割かれていました…「仕事と生活の仕方・1」参照)
移動のためにかかる費用(自家用車の場合は、ガソリン代)も時間も、ゼロ。お金や時間をその分、有効に使えます。
「とかい」から起こりやすい「不便」は、こうすると一切発生しません。
他方、「売る」ことについて「とかいところ」はデメリットにならないのか?というと、これもさほどの問題はありません。
だんなさんが作品展示の現場や依頼主のお宅へ向かったりする場合、もちろんその分の移動費はかかります。が、移動の必要性はどこに住んでいてもあまり変わりありませんし、そうそう毎日の話でもないので、距離の大小がさほど大きな問題となるものではありません。
作品そのものの移動(つまり納品)は民間の宅配サービスを利用しますが、これは山形市内に住んでいようが山奥に住んでいようが、例えば東京までの配達料金は変わらないので、これも問題になりません。
「売る」ことを含め、外部とのやりとりについては、インターネットの恩恵を大きく受けています。
インターネットが普及し、一個人でも活用できる身近なサービスが増えたおかげで、お客様ともメールで簡単に細かい内容の打ち合わせができ、自分の作品もオンラインで広範囲の人に見てもらったり、販売できたりする。
彼が「ものを作って売る」という仕事を行っていく上で、この「とかい」場所がデメリットになっていることは、今ではほとんど無い、と言って良いでしょう。
「とかいところ」で仕事を始める
では、だんなさんはどんな風にこの「とかいところ」にたどり着き、今の仕事のスタイルを作り上げていったのか。
「とかいところ」との出会いは、学生時代にさかのぼります。
彼は当時、山形県内の美術大学で金工を学んでいましたが、その大学の卒業生が中心となったグループが、朝日町内のとある旧小学校の部屋を借り、制作を行っていました。
だんなさんは学生の頃にそこに関わり、グループの展示を手がけたり、自分のものを作ったり。その中で少しずつ地縁を得ていきました。
彼はこの頃から、将来について「どんなに苦しくとも、自分でものを作って生計を立てていく。それ以外は無い」と決めていたそうですが、じゃあどうすればそれが実現するか。
収入がまだ増えないうちは、支出を減らしていくしかありません。
どんな方法で、支出を削っていくか…その一つとして当初から彼の頭にあったのが、例の「職住一体」のアイディア。
「働く場所と住まいが近ければ近いほど、時間と移動費が節約できる」という考えです。
朝日町の制作現場と、住居を近接させたい。
とは言え、地元の人にきちんと受け入れてもらえなくては、話になりません。
信頼関係が築けていないと、のちのち関係が悪くなったり、ささいなことでわだかまりができたり、ということもあり得ます。また現実問題として、地元の人の協力なしには住まいとなる物件そのものも、上手く見つからないかもしれない。
だんなさんの場合、その制作グループを通じて仕事と地域交流に取り組む姿を認めてもらい、やがて地縁と住民の方々の信頼を得ることができたようです。
最終的に同じ集落の中で、誰も住まなくなっていた住居を紹介・貸していただけることになったのでした。
それが今も住んでいるお蔵の家で、だんなさんはこの家に暮らして、もう10年になります。
ここから件の旧小学校へは、車で5分、徒歩15分ほど。小学校の中では昔の厨房(給食室)を使用して、火を使ったり金槌を振るったりしていました。
(★ちなみに小学校は「創作活動を行う場」として現在、町が管理運営をしています。利用代金を町に対して支払って、空き部屋を使える形になっています)
なお2020年12月時点で、彼は旧小学校における制作を終え、家に更に近い家屋を借りて新工房としています。
実に十年もの間、ここで制作を行ってきたとのことで「今日があるのは、この場所のおかげ」と言っています。
必要な力を蓄える為のしかけ
さて、前述のとおり、支出は可能な限り抑える必要があります。
お蔵のお家を紹介して頂けたおかげで、制作現場と住居間の移動は、ほとんどゼロに近づきました。
実はもう一つ、この環境の為に、大きく支出を抑えられたものがありました。
「水」です。
お蔵の家にはありがたいことに、元から沢水がひかれて流れている状況でした。昔、人が住んでいた時には生活用水として役立っていた、山からの水です。
だんなさん、そして後から住みついたわたしは、現在もこの水を利用して生活をしています(ろ過処理をしていない水なので、水質検査で安全性を確認した上で、口に入れる分は煮沸作業を行ったり、胃腸の鍛えられていない子どもには市販のミネラルウォーターを使ったりして、場合によって工夫して使い分けています)。
おかげで我が家の生活固定費は、家賃・光熱費・インターネットにしぼられている状態です。
(この件に関しては正直、借りられることになったお家の状態によりけりだと思うので、彼の場合・そして我が家の場合は本当に良い相性、良い条件のお宅に巡り合えた、ということなのだと思いますし、実際にはその巡り合わせを呼ぶような彼の地道な奮闘があった…と思うのですが、これについてはまた後日書きたいと思います)
その他に、生活に必要なもので可能なものは、自分で作ったり、直したり。
昨今はやりの、DIYですね。
元々そういうことが好きな人なので、苦ではなかったようです。
こうして、希望通りの環境で制作に打ち込めることになっただんなさん。
それでもこうした環境のメリットが、最初からいかんなく発揮されていた訳ではありません。
その頃は収入を補填する為に、大学で助手として働いたり、他市の美術館学芸員として働いたり…という外勤もしていたので、そんな場合にはやっぱり「とかい問題」…すなわち「通勤の時間と手間がめっちゃかかるやん問題」が発生します。
助手の時は、その他の夜間のアルバイトも入れながら泊りがけで大学方面に行けるように工夫し、学芸員として働く時は、勤務日数を調整。
このようにしながら、制作にかける時間を確保し、移動する時間と費用を節約していたとのことでした。
こんな風に支出を最大限抑えて、一方で仕事の質と量を増やし、収入を増やしていく。そうやって、自分がもの作りの収入だけで食べていける時を待っていただんなさん。
そして2015年、十分な力が蓄えられた。何とかやっていけそうだ。そう感じた段階で、彼は外勤をストップし、本当に制作一本に集中した生活に転じました。
お蔵の家で暮らし始めて、5年目のことです。
彼は自分でも「長期的にポジティブ」と言っていますが、こうした「初期投資」を行ってから、その成果が上がってくるまでの時間を、忍耐強く待つことができたというのも、関係していると思います。
新しい生活のはじまり
ところで一本立ちしたこの翌年、更なる変化がありました。
わたしといちひめです。結婚&出産を機に、大人一人+赤ちゃん一人が新たに増え、お蔵の家での新しい生活が始まったのでした。
スペース的には特に不足ない広さがある家ですし、家計だけの話をすれば、わたしも働いていたので費用を折半でき、むしろ一人一人の経済的な負担は減ることになりました。
子どもという存在ができた=育児という仕事が増えたことで、彼にとって大きく変わったのは、むしろ「時間の使い方」ではなかったかと思います。
それまで朝は5時から、夜は23時まで仕事場で金槌を打っていたこともある人ですが、子どもが生まれてからは、一日のタイムテーブルががらっと変わりました。
わたしとの話し合いの末、「19時に帰宅、夕食を一緒にとる」「朝食も一緒にとる」「朝の保育園送迎は父が行う」という家族優先ルールに。
この為、制作時間が大幅に減りました。
本人は「逆に効率を考えて動くので、仕事一つ一つにかかる時間を短縮できた」と言っています。
ノー残業を実行した職場でも良く聞かれる意見で、一面では本当のことでしょう。
それでも彼にとっては、勇気のいる大きな決断だったと思います。
制作時間が削られることは、彼にとっては、単純にその分の収入源が減ることを意味します。
たった一人でやっている制作仕事は、会社のように産休育休や有休の手当てがつくわけでもないし、他の誰かがカバーしてくれるわけでもない。休んだらその分、仕事が遅れるだけです。
またその遅れが、目に見えない信頼を損ねて、次の依頼に悪影響を及ぼすことも考えられます。
家族のことだって、収入が減ればちゃんと支えられなくなるかもしれない。責任を果たせなくなるかもしれない…。
彼にとって制作時間を大幅に削るというのは、大きな心配の種、不安の種であり、ストレスの元だったと思います。
それでも、最終的に「家族との生活時間を優先する」と決めてくれました。
「育児をママ一人で背負い込むべきでない」「パパだって育児や家庭のことをするべきだ」
…等の話もありますが、そんな「べき」論ではなくて、自分の大事な家族を支える生計の手段と天秤にかけて、ぎりぎりのラインに立ちながら「いちひめと3人で過ごす、家族だんらんの時間を増やそう」と決めてくれた。
わたしは純粋にそれが嬉しくて、救われています。
思い返してみて、彼の気持ちを本当にありがたい、と改めて思います。
…ということで「お父ちゃん」業も増えた現在の彼の、平日の一般的な過ごし方。
今では大体、こんな感じになっています。
(画像クリックで拡大します)
2.個人事業と「とかいところ」
長くなりましたが、ここまでだんなさんの・そして我が家の個人的なケースを紹介してきました。
今度はそこから、一般的に個人事業ってどうなのか、「とかいところ」で個人事業を営むってどうなのか、について書いていきたいと思います。
個人事業のメリット
ここまでだんなさんの仕事について見てきたように、個人事業の仕事の一番の利点は、「物事を自由に組み立てられる」ところだと思います。
どこで、何をするのか。どんな風にするのか。場所の設定、時間の使い方。
だんなさんの場合、これらを最大限に利益が出るように組み立てて、資金と制作力を蓄え、自立への基盤を築きました。
また、子どもが出来てからも、このメリットが大きく作用しています。
育児にかける時間、家庭にかける時間を自由に設定できること。いつ休んで、いつ働くかを、自由に決められること。
子どもが急に具合が悪くなって医者に行かなければいけなくなった時も、遠方で働いていたわたしでは、保育園に戻ってくるだけで小一時間かかってしまいます。そこからまた、かかりつけの小児科まで40分ほど…(小児科事情については、こちらをどうぞ)。
こんな時も、だんなさんが作業に融通をつけられる日は、さっと保育園に迎えに行き、さっと小児科へ連れて行ってくれたりしました。
もちろん、こうした個人事業ならではの自由度の高さは、「とかいところ」でないと発揮できない訳ではありません。その人の職種に合ったところ、仕事をしたいところでするのが、一番ではないかと思います。
ただ冒頭でも触れたように、インターネットでできることが増えた今日。「とかいところ」であっても、都市部で働くのとあまり変わらない環境で仕事をし、生活を営んでいくことができる…そんな仕事は、たくさんあると思います。
このケースで見られる「とかいところ」の良さの一つは、支出が抑えられた(家賃、水道代)こと。水道代については別ですが、家賃は田舎よりも都市部の方が高いことを考えれば、住まいにかかる費用の低さは「とかいところ」のメリットとして一般化できそうです。
また何よりの魅力である、自然の豊かさや季節の恵み、静けさ。これはやっぱり、「とかいところ」ならではの醍醐味ではないかと思います。
子どものいる家庭の人なら、のびのび子育てできる環境としても、おすすめです。
個人事業のデメリット
個人事業の一番のデメリットは、ずばり「収入に対する社会的な保障が少ないこと」かと思います。
(登録を済ませた法人であればまた別かもしれないのですが、現時点ではまだ勉強中です。ということで、ここでは冒頭でも触れたように、法人成りしていない事業ということで体験談をさせてもらいます)
だんなさんの例でもありましたが、一人で仕事をしている場合、病気や怪我などで休んでも、その分の遅れをカバーしてくれるものがありません。有給休暇や産休育休といった制度は適用されないので、ただ収入が減るだけです。
自分が外で雇われて仕事をしていた時、何かの事情で休んでも、一定の手当てがちゃんともらえた。自分が実際に働いていない日でも、ちゃんと一か月に決まった額のお給料がもらえると分かっていたので、安心して休みをとることができました。
法律というものが、大きな味方でした。
雇われ仕事をやめた現在、予期せぬ半日のお休み、一日のお休みは、ダイレクトに収入源とつながって感じられます。まず気持ちの上で、とても頼りなくて不安な気持ちになる。
実質の収入の面でも、精神的な安心感の意味でも、自分以外のところから「保障」してもらえるかどうかの差は本当に大きいんだなと、つくづく思います。
また年金などの社会保険料も、雇用主側と折半していた会社勤めの場合と比べると、全額自己負担となり、格段に高くなります。
そればかりでなく、個人事業主が加入する国民健康保険。
雇われ仕事の時は、条件が合えば自分一人分の健康保険料で、子どもを扶養に入れてまかなうことができましたが、国民健康保険にはこの扶養の考えがありません。必要な家族の人数分だけ、保険料を支払わないといけない、ということになります。
(ちなみに子どもの健康保険料の支払いについては、「年間の所得が大きいほうが支払う」という原則になっていました)
イメージ。
そう考えると、全く違いますよね。
実際に年間に出ていく金額には、雲泥の差があります。
自分の舟をこいでいく
最後に、蛇足かもしれませんが…
個人事業についての、自分のイメージについて書いておきたいと思います。
だんなさんの仕事のことを知った当初、わたしは「小舟で、大海を進んでいくようだ」というイメージを抱きました。
誰からも護られず、大きくてあてどない海の上を、自作の羅針盤を頼りに渡っていっている人なんだなあ、と感じました。
完璧に身びいきですが、彼がこういう生き方を選びとっているところに、わたしはすごく憧れています。
と同時に、大きな勇気をもらっています。
ここまで「とかいところ」で行う個人事業について書いてきましたが、最終的にはどれがいい、ということは無いと思います。
言えるのは、「とかいところ」で小さな子どもを育てながら収入を得るのには、個人事業で食べていければとても便利だろう、ということくらいでしょうか。
それだって、よそで勤めて通勤をしながら暮らすこともできます。
結局は、優先順位をどんなものに置いていくかによると思います。
自分が何を一番大事にしたいか。子どもなのか、暮らし方なのか、仕事なのか。だとすると、住まいはどこがいいのか、仕事の仕方はどうした方がいいか。
一つ、彼の仕事ぶりを間近で見ていて、彼の舟が崩れずここまで来れた強さの秘訣は、こういうところにあるなと思ったことがありました。
それは社会的な保障が少ない分、ちゃんと自分でリスクを軽減したり、逆にリターンを強化したりする道を用意しているところです。
支出を抑える。
仕事の売りであるセンスを補強してくれるような環境に暮らす。
身近で理解し支えてくれる人脈を、こつこつ築く…。
その意味で、「とかいところ」は彼にとっては大きな味方であり、「自営業」「もの作り」と言う舟の弱さを少なからず穴埋めしてくれる場所となっています。
そしてまた、「とかいところ」ゆえのデメリットを受けずに暮らしを営む生き方として、こうした仕事の仕方は、大きな可能性を秘めているようにも思っています。
「とかいところ」で暮らしていきたい人へ、多少なりと参考になれば幸いです。
(2020年・5月末)
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